- 主日礼拝説教:2023年2月26日(日)
- 聖書箇所:マタイの福音書17章1~9節
- 説教題:起きなさい、恐れることはない
●説教音声
●みことば
彼らが目を上げると、イエス一人のほかには、だれも見えなかった。
マタイの福音書17章8節
●みことばの一滴
◎信仰の喜び~神に出会う
しばしばひとりで山に登られ、そこで父なる神さまに祈られたイエスさまですが、この時、弟子たちのペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人を連れて山に登られました。聖書は3人だけを連れて登られたと記します。この3人にとっては、どこか特権をいただいたような誇らしい気持があったかもしれません。選ばれなかった他の弟子たちの中には、妬ましい気持ちが生まれたかもしれません。なにやら特別なことが起こりそうな予感が、連れて行っていただいた3人、残された他の弟子たちの中にあったことでしょう。
期待と不安を胸に抱きながらイエスさまといっしょに山に登った3人は、そこで驚くべき光景を見ることになりました。イエスさまの御姿が変わったのです。顔が太陽のように輝きました。身に着けておられた衣が光のように白くなりました。また、そこにモーセとエリヤが現れて、イエスさまと語り合っていました。
モーセはかつてイスラエルの民をエジプトから導き出した偉大な指導者です。イスラエルの民はエジプトで奴隷のような状態でしたから、モーセは民族解放の父、と言ってもいいでしょう。またエリヤは神さまのお言葉をイスラエルの民に語った預言者です。ある時には、異教の預言者たちと信仰の対決をし勝利した預言者であり、やがて来られる救い主の道を整えるためにやって来るであろうと言われた人物でした。モーセとエリヤ。いわば旧約聖書の代表的人物が、ここでイエスさまと語らっているのです。
この驚くべき光景を目にして3人の弟子たちのひとりペテロが言いました。
「主よ、私たちがここにいることはすばらしいことです」。(4)
この「すばらしい」という言葉は、「よい」とか「美しい」といった意味の言葉です。
信仰に生きるということはこの弟子たちのように、輝く神さまのとの出会い、に生きることです。光り輝いておられる神さまにお出会いし、日々神さまのその輝きの中に生きることこそ、信仰の喜びです。
この地に来られたイエスさまは「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」(イザヤ53章2節)と言われるようなお姿でした。しかし、まことの神であるイエスさまは、本来は光り輝くお方なのです。世の終わりまで共にいると約束してくださった輝くお方がともにいて下さることを、私たちは忘れてはならないと思います。「私たちがここにいることはすばらしいことです」と私たちも言うことができるのです。
◎イエスお一人を見る
すばらしい体験をいただいたペテロは、一つの提案をします。神さまとお出会いするための旧約聖書に登場する施設「幕屋」を、イエスさまのために、モーセのために、エリヤのために、造りましょう、といいました。マルコ9章6節には「ペテロは何を言ったらよいのかわからなかったのである」と書かれていますので、思わず語ってしまった、ということかもしれません。
するとまだ話している間に、光り輝く雲が彼らを覆いました。そしてその雲の中から声が聞こえてきました。
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」(5)。
これを聞いて弟子たちはひれ伏しました。そして非常に恐れたと聖書は語ります。彼らは自分たちが的外れなことを言ったことに気づいたので恐れたのかもしれません。この言葉自体は、旧約聖書・詩篇第2編7節やイザヤ書42章1節の言葉であり、またイエスさまがバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになったときに、天から聞こえて来た言葉でもあります。
ひれ伏して恐れている弟子たちに、イエスさまが近づいて来て下さいました。そして手を触れて語って下さいました。
「起きなさい。恐れることはない」(7)。
この御声に従って目を上げると、イエスさまお一人のほかには、だれも見えなかった、と言います。
「彼らが目を上げると、イエス一人のほかには、だれも見えなかった」(8)。
イエスさまに触れていただき、「起きなさい。恐れることはない」と語られる御声に従って目を上げると、イエスさまだけが見える。弟子たちは、あらためてイエスさまだけが見えるようにしていただいたのです。弟子たちは恐れから解放されて、山を下りることになりました。
イエスさまにお出会いし始まった信仰生活は、イエスさまだけを見る、信仰生活へと導かれていきます。恐れに出会うときも、イエスさまだけを見えるようにしていただいて、その恐れから解放されて、信仰の道を前進します。
「・・・私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。『これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。』私たちは聖なる山で主とともにいたので、天からかかったこの御声を自分で聞きました。また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」(第2ペテロ1・16~19)
●祈り
さまざまなものが目に映る時、私たちは恐れに縛られます。まことの神であるお方がともにいて下さることのすばらしさを見失うことがないように守って下さい。その光の中にあることを感謝しつつ、イエスさまだけを見上げることができるように守って下さい。