- 主日礼拝説教:2023年2月5日(日)
- 聖書箇所:マタイの福音書16章13~20節
- 説教題:教会に与えられた御国の鍵
●説教音声
●みことば
あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。
よみの門もそれに打ち勝つことはできません。マタイの福音書16章18節
●みことばの一滴
◎信仰を告白するということ
「ピリポ・カイサリア」という地名から、そこがカエサル(ローマの皇帝)の息のかかった土地であることが想像されます。当時ローマは地中海を取り巻く広大な地域を支配していました。その皇帝が神のように崇められるところにおいて、イエスさまは「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と問われました。この問いに弟子のペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」と答えました。この信仰告白をしたペテロに、イエスさまは「あなたは幸いです」と言われました。幸いな人生は、イエスさまを神の子キリストと告白する者に与えられます。
イエスさまはこれに先立ち、人々は、人の子、すなわちイエスさまをだれだと言っているかと問われています。弟子たちは、世間がイエスさまをどうとらえているかを知っています。そのような中に、あなたがたはわたしをだれだと言うか、と問われたのです。
わたしはイエスさまのことを何者であると告白するのか。その告白が、人生に危険をもたらすことになっても、イエスさまを神の子キリストと告白すること。周りの人たちがどのようにとらえていたとしても、私はイエスさまを神の子キリストと告白すること。その信仰の告白が問われるのです。
礼拝において使徒信条をもって私たちは信仰の告白をします。主の祈りが「我ら」と複数で告白するのに対して、使徒信条では「我は」と単数形になっています。それは、信仰の告白とは、他者がどうであろうとも、私はイエスさまを信じます、との告白でなければならないからでしょう。私たちはそのような信仰の告白に招かれています。そこに幸いがあるのです。
イエスさまはこのような信仰の告白をしたペテロに「このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です」と言われました。信仰の告白は、血肉によるものではない、すなわち人間業ではないのです。私たちはいつも不信仰なのですが、そのような不信仰な者に、神さまが働いて下さって、信仰を告白する者にしていただいたのです。もちろんロボットのようにされ、操り人形のように、信仰を告白しているのではありません。私という一人の人間が、自らの意志で、信仰を告白しているのです。主はそのことを待ち望んでいてくださいます。しかしひとたび信仰を告白する者とされたならば、私たちはそのことも主の御業によるのだ、と感謝をささげます。ですから私たちの信仰の告白はつねに、「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9・24)なのです。
◎教会をお立てになる主イエス
「あなたは生ける神の子キリストです」。この信仰を告白したペテロにイエスさまは語られます。
「そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」(18,19)
「教会を建てる」とイエスさまは言われました。教会を建てることはイエスさまのみこころでした。イエスさまを神の子キリストと信仰告白する者の上にイエスさまは教会をお建てになります。立派な者、愛にあふれた者、優秀な人材の上に教会を建てると言われたのではありません。イエスさまを神の子キリストと告白する者たちの上にイエスさまは教会をお建てになるのです。どんなに荘厳な会堂があり、多くの人たちが集まり、優秀な人材によってさまざまな活動が行なわれていたとしても、もしこの告白がなされていないならば、そこは主の教会ではありません。
この信仰の告白に生きる教会は、イエスさまの教会です。よみの門、すなわち死も、この教会に打ち勝つことはできません。死なないわけではありません。しかし復活によって死をも滅ぼしてくださった主が、私の主となってともにいて下さるのですから、死はいたずらに恐怖するものではなくなったのです。
この信仰の告白に生きる教会は、天の御国の鍵をいただきました。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれる、あなたが地上で解くことは、天においても解かれるのだ、と言われました。教会が権力者のようになって人間の救いを支配するということではありません。教会は天国の恵みをもたらすところとなったのです。地上で唯一罪の赦しを語るところとしていただいたのです。もはや律法の奴隷から解放された、罪の支配から自由にされたのだ、と平安を語るところとしていただいたのです。
この地にあって天の御国の鍵をいただいていることを畏れつつ大切に受けとめたいと思います。罪の赦しを語り続けたいと思います。平安を祈り続けたいと思います。
●祈り
主よ、信じます。信仰のない私をあわれんでください。主イエスさまを信じる者としていただいたことを感謝します。天の御国の鍵をいただいたことを、畏れをもって大切に受けとめます。罪の赦しと平安を語る者として遣わしてください。