主日礼拝説教 2023年1月22日(日)

  • 主日礼拝説教:2023年1月22日(日)
  • 聖書箇所:マタイの福音書15章29~38節
  • 説教題:主とともに生きる

●説教音声

●みことば

すると、イエスは彼らに言われた。
「パンはいくつありますか。」

マタイの福音書15章34節

●みことばの一滴

◎重荷を担って下さるイエスさま

「山に登り」。ガリラヤ湖のほとりに行かれたイエスさまは、山に登られました。以前に弟子たちをまえにして「心の貧しいものは幸いです」(マタイ5・3)と語り始められたイエスさまのお姿を思い起こします。今朝の箇所では、山に座られたイエスさまのところに大勢の群衆がからだの不自由な人たちを連れてきます。人びとはそれぞれに人生の重荷をイエスさまのもとに降ろしました。イエスさまはその重荷のすべてを担い解決してくださいました。群衆は重荷を担って下さる神さまの姿に驚き、イスラエルの神をあがめます。

イエスさまは教えを語って下さる方であるとともに、重荷を担い解決してくださるお方です。教えとみわざ。どちらも大切なことだと思います。山で教えを語られたイエスさまが、同じ山においてみわざを成してくださったのです。聖書は、教えとみわざはは一つである、と語るのだと思います。
教えが語られる、ということは、その教えを聞いた私たちに、その教えに従って生きることが期待されています。しかし罪びとである人間の中にその教えに従って生きる力があるのか、というと、ちょっと自信がなくなってきます。聖書の教えに従って生きようと力に溢れるときもあります。しかし教えを聞いて確かに理屈は分かるが自分にはそのように生きる力がない、とがっかりすることもあります。
教えを語られたイエスさまは、みわざを成してくださるお方でもあるのです。私たちは聖書に学びながら、イエスさまのもとに重荷を降ろし、イエスさまが成してくださるみわざを期待する仰生活を送りたいと思います。

◎祝福を繰り返して下さる神さまの愛

続いてイエスさまは4千人の人びとに食べ物をお与え下さいました。これはすでに学びました5千人の人びとに食べ物を与えられた出来事を思い起こさせます(マタイ14・13~)。パンと魚の数、集まっていた人びとの数、余ったパン切れの数は少し違いますが、行なわれた奇跡は同じことでしょう。
イエスさまは伝道の生涯の中で幾度となくこのような奇跡を行われたのだと思います。もし聖書が、イエスさまの成されたことを後世に伝える、ということであれば、同じようなことは繰り返し記さなくてもよかったかもしれません。しかし聖書は同じようなことであっても、それを丁寧に記しました。弟子たちにとってみれば、同じような出来事であっても、きっと忘れることのできない特別な出来事だったのだと思います。
神さまは、ご自身の祝福のみわざを繰り返してくださるお方です。私たち人間は、繰り返しというと、あまり価値のないことのように思うのかもしれません。しかし考えてもみれば、神さまは日々私たちの生活を支えていてくださるのではないでしょうか。毎日太陽を昇らせ、毎日自然環境を整備し、毎日肉の糧を与えていてくださるのではないでしょうか。この繰り返しのみわざがなければ、私たちの人生はどうなるでしょう。繰り返しが続くことで、私たちはいつの間にか感謝することを忘れてしまいがちです。しかし弟子たちは、同じようなことであっても、ちゃんと聖書に記そうとしたのです。そうして繰り返し行って下さる神さまのみわざに感謝することを忘れなかったのだと思います。

イエスさまはこの奇跡を行うに際して弟子たちに問われます。「パンはいくつありますか」。数々の奇跡を行い、無から有を生み出す創造者であるにもかかわらず、弟子たちの手の中にあるものを問われるのです。弟子たちは「この人里離れたところで」「どこで手に入れることができるでしょう」といっていました。しかしこのイエスさまの問いかけによって、自分たちの手の中へと視点を変えられることになりました。
変えられた視線の先にあったもの、すなわち彼らの手の中にあったパンはわずか七つでした。そして魚が少々。あまりにも小さなものです。しかし無ではありませんでした。彼らが目を向けていた「外」には何もなかったかもしれません。しかし見ようとしていなかった自分たちの手の中には、あまりにも小さなものではありましたが、与えられていたものがあったのです。イエスさまはそれを用いて人びとを養われました。

私たちの手の中にはどのようなものがあるでしょうか。神さまはすべての人に「賜物」を与えていてくださいます。それぞれに与えられている賜物には違いがあるでしょう。しかしその賜物が、神さまから与えられた賜物であるならば、必ず、誰かのために用いられるものです。誰かの徳を高める、あるいは教会の徳を高めるために用いられるものでしょう。
私たちは自分の中に与えられている賜物に目を向けようとせず、ほかにばかり目を向けてしまうのかもしれません。「パンはいくつありますか」とイエスさまは問いかけてくださいます。あなたの手の中にあるものはなにか。あなたはそれがわずかであると見ているかもしれない。しかしそれをわたしにゆだねてみよ、そうすれば多くの人のためにわたしが用いてあげよう、と主は招いていてくださるのです。

●祈り

日々喜びと感謝をもって生きる者としてください。与えられている賜物をあなたに委ねながら、あなたが用いてくださる喜びに生かしてください。


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