召天者記念礼拝

私たちの教会では、春、主の復活を記念するイースターを前後して行っています。だいたい4月の第2日曜日が多かったように思います。

納骨室の左隣のスペースに、写真と名札があります。右隣には、膝までぐらいの台があります。組み立て式ですので、組み立てて会堂の右後ろあたりに設置し、召天者の写真と名札を飾ります。思い出の品もいくつか展示します。置き方はその都度適当に置いています。

召天者の一覧表を作成して、展示の後ろ壁面などに掲示します。2枚ぐらい貼っていました。

召天者記念礼拝では、召天者のお名前を読み上げて、祈ります。それがいいのかどうかわかりませんが、そうしてきました。人数が多くなりますので、いつか限界が来ると思います。悩ましいところです。

召天者の家族への案内は、召天者記念礼拝の1か月ほど前に発送します。現在50通ほどです。週報ボックスのある方は、週報ボックスに入れます。

召天者記念礼拝が終われば、お礼状を出します。今年(2021年)はコロナ禍で、ともに集まることをしませんでしたので、展示の様子を撮影した写真を普段お集いでない方に、礼状とともにお送りしました。

召天者記念礼拝の時期ですが、教会歴を考えると、天国を覚える季節の11月初旬に行うのがよいのかもしれません。ただプロテスタントの歴史を厳密に考えると、イースターの季節の方がふさわしい気もします。

少し説明しますと、宗教改革記念日は、宗教改革の始まりの一つとされるルターによる95か条の論題(提題)が貼りだされた日を記念して、10月31日とされています。これは翌日11月1日の「諸聖人の日」と深い関係がある、と言われます。諸聖人の日、すなわち聖人信仰にみえかくれする行為義認に対して、聖書の信仰である義認信仰を明らかにするために、諸聖人の日のまえに貼りだしたという、ということです。教会歴からすると天国を覚える季節ということではあるのですが、それが聖人信仰を生み出し、行為義認を生み出すこととなったという教会の歴史を考えると、いま再びこの季節に召天者記念礼拝をおこなうことには、深い議論が必要な気がします。ちなみに日本最大の合同教会である日本基督教団では、11月の第一日曜日を「聖徒の日」として召天者記念礼拝をおこなう教会が多いようですが、聖人信仰とはかかわりはないようです。いずれにせよ聖書に記されていることではないので、バラエティーがあっていいのではないかと思います。

これに対してイースターの季節に召天者記念礼拝として召天者を覚えるのは、それが復活を覚える季節だからです。

すこし、N・T・ライトから引用しておきましょう。

「天国・パラダイスの教会は、勝利の教会であると同時に待望する教会なのだ。すべての読者が私の結論に同意すると思わないが、少なくとも聖書をよく調べて、これらのことがそのとおりかどうか見てほしい。特に、私が属する教会(英国国教会)のように、万霊節(死者の日)を再び祝うようになった教会の人たち、中でもそれを牧会的に有益だと思っている人たちに、万霊節を祝う神学が何を示唆し、また何を考えることになるのか、真剣に考慮してほしい。

亡くなったキリスト者を想うのにふさわしいのは復活祭と諸聖人の日であり、それは純粋なキリスト教の希望の表現とも言える。しかしこれに万霊節を加えるなら、せっかくの素晴らしい祝日の意味が損なわれてしまう。ここでも、神学や典礼での他のことと同じく、やり過ぎは逆効果なのである。」

(N・T・ライト、『驚くべき希望』、中村佐知訳、あめんどう、2018年発行、288頁)

ライトがこの書物で言おうとしているのは、復活信仰の大切さだと思います。召天者たちは、復活の希望の中にあること。またやがて死を迎える私たちも復活の希望の中にあること。新しいからだをいただいて復活すること、をこの書物で語ろうとしています。天国、すなわち彼岸を強調する季節、あるいは文脈の中で、召天者を覚えるのではなく、復活の希望の中で覚えようという主張です。

そんなことで、私は個人的にはイースターの季節こそ召天者記念礼拝にふさわしいと考えているのですが、教会の中には11月がよいという意見もあり、その意見もわからないわけではないのです。私としては単純に前任の先生から引き継いだだけなのですが、手付かずのままです。申し訳ないのですが、時期については必要に応じて教会の皆さんと話し合ってくださればと思います。


投稿日

カテゴリー:

,