●『愛と自由のことば』より(18)

「神の福音でありますから、何が福音であるかは、神がお定めになることであることを忘れてはなりません」(竹森満佐一)

 福音という言葉は「喜ばしい知らせ」「グッドニュース」という意味です。銀行や郵便局で手続きを待っていると教会名の中の福音を「ふくおん」とか「ふくね」とか呼ばれてしまうので、まだまだこの言葉は日本には定着していないような気がします。
 キリスト教信仰の道を歩みだそうとすると「福音」はよく耳にする言葉になります。しかしその意味はどれだけ定着しているのでしょうか。問題を抱えた者にとってはその問題が解決されることが福音でしょう。病気を得た者にとってはいやされることであり、経済的な困窮の中にいる者にとっては必要が満たされることが福音なのかもしれません。しかし果してそれが本当に私にとって福音なのでしょうか。自分にとっての真に喜ばしい知らせとはいったいどういうものであるのか、私たちは果してわかっているのでしょうか。
 聖書は「神の福音」と言いました。何が福音であるのかは神さまのお定めになることなのです。問題を抱えた者にとっては、その問題が自分の望むような形で解決されることが福音と思っているかもしれませんが、神さまのお考えはほかにあるのかもしれません。もしかしたら解決されないままに担って生きていくところに、私にとってのほんとうの福音があるのかもしれません。パウロは、祈っても解決されないところで「わたしの恵みはあなたに十分である」(2コリント12:9)との主の御声、神の福音を聞きました。