●『愛と自由のことば』より(9)

「自分の罪を告白することをわがこととせず、ただ自分の罪を理解し、説明ばかりしている人は、彼がどんなに知恵があるように見えても、闇の中を歩いているのです。」(ジェームス・デニー)

 「罪を告白すること」と「罪を理解し説明すること」とは違うということでしょう。客観的に自分を見つめ、自己反省し、それが罪の告白にいたるというならば、客観的に自分を見つめることは大切なことです。しかしどこか他人事のように自分の罪を理解し説明しているだけならば、それは告白していることではありません。依然、暗闇の中を歩いています。
 本当に「罪を告白」をするということは、神さまの前に包み隠さず自分の罪の一つひとつをつまびらかにあきらかにすることです。そしてその罪の深さに嘆き絶望し、完全に否認されること、否定されることなのです。
 よく罪を告白しつつ、あれは仕方がなかった、誰だって同じ場面ならばそうしたであろう、などと言いつつ告白する人がいますが、それは、罪を認めていただこう、肯定していただこうとしていることであって、告白ではありません。そういう人は闇の中から抜け出すことはできません。神さまの大いなる祝福をいただくことも出来ません。
 キリストの十字架の愛の深さを知る者だけが、神さまの前に罪を真実に告白することができます。また罪を真実に告白する者だけがキリストの十字架の愛の深さを知ることが、また出来るのです。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.