2017年2月19日(日)主日礼拝説教

  • 説教箇所:ヨハネの黙示録6章12~17節
  • 説教題:大いなる日を前にして
  • 日付:2017年2月19日(日)

●説教音声

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●みことば

御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。

ヨハネの黙示録6章17節

●みことばの一滴

◎第6の封印が解かれると

第六の封印が解かれると大きな地震が起こるのをヨハネは見ました。また太陽や月が輝きを失いました。天の星々が地上に落下しました。天は消え、揺るぐことのないはずの山や島も移動します。地に生きる人びとは、身分にかかわらずその恐ろしさに震えあがり、山や岩に助けを求めます。しかしこの御怒りの日から誰ひとり逃れることはできません。

◎神のさばきの恐ろしさを知る

ヨハネは最終的なさばきの様子を見ることになりました。それは人間が今まで経験したことのないほどの恐ろしいものでした。第一から第四までの封印が解かれた時に見た四匹の馬がもたらす恐ろしいことごとや、第五の封印が解かれた時に見た殉教者の姿も恐ろしいものだったと思います。しかしそれらは彼らの日常において経験したことのないものではありませんでした。それに対して第六の封印が解かれて見せられたものは、人間が未だかつて経験したことのない恐ろしさだったのです。キリスト者はこの世にあってさまざまな恐ろしいものに出会います。しかし本当に恐れなければならないものは、神さまのこの最終的なさばきです。

「小羊の怒り」(16)ということばは聖書の中でここだけに書かれている言葉だそうです。福音書の中の宮きよめなどを見ると、小羊、すなわちイエスさまが、とても厳しい姿をお持ちのお方であることを感じます。しかし、総じては柔和で優しいお方であるといえるでしょう。またイエスさまを信じて生きようと思っているものにとっては、そう信じたいところがあります。ところが、そのイエスさまは、ここでは怒りをもって登場されるのです。これは見過ごしてはいけない恐ろしさだと思います。

私たちはこの最終的なさばきの恐ろしさ、小羊イエスさまの怒りの恐ろしさを恐れなければなりません。この恐れが希薄になるので、恐れなくてもよいものに恐れをいだいてしまうのです。さまざまなこの世の恐れに襲われる時、最終的なさばきの恐ろしさ、子羊の怒りを恐れることを学びましょう。

◎永遠の変わらない神のことば

 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24・35、マルコ13・31、ルカ21・33)

神さまを信じるものは、この天地が永遠ではないことを知っています。ですからこの天地でのさまざまな出来事については恐れなくてもよいことなのです。最終的なさばきの恐ろしさを知っている信仰者は、決して滅びることのない聖書のことばを知っています。

「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
(ヨハネの福音書6章39~40節)

イエスさまにある者は復活の希望を持っていますから、恐ろしい「御怒りの大いなる日」「終わりの日」を迎えようとも、かわることのない平安に生きる道をいただいています。


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