●『愛と自由のことば』より(3)

「理性の限界を誰にもましてよく知っているのは理性それ自身である。・・・理性は神の実在を確実に認識することが出来ない。そこに人間の悲劇がある。この悲劇は、結局、祈り以外に解決の道はない。」(佐古純一郎)

 理性で神さまを知ることには限界があるということを知っていることこそ理性的であるということでしょう。神さまを信じるということは、見えないもの、証明できないものを信じるということであるから、そのような理性で理解できないものは信じないというのは、結局理性的ではないということです。処女降誕、復活、いやし、パンの奇跡、死人の生きかえりなどなど。理性では理解することは出来ないでしょう。だからこそ信じるのですが、それが理性的でないというのは理性の自己矛盾です。理性万能を掲げた時点でそれはすでに理性的でないのですから。
 いずれにせよ信仰は祈りです。祈るということは、自分の限界を知ったものにゆるされた新しい希望の道です。「だから空仰いで、神さま!と一言、祈ってごらんよ、わかるから・・・」。全くその通りです。
 天と地を造られたまことの神さま。目に見えないお方。十字架と復活によって贖いの業をなしてくださったイエスさま。今も共にいて下さる聖霊さまに祈る者こそ、健やかな人間としてに生きる理性的な生き方です。


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