●『愛と自由のことば』より(1)

「人間は神の御顔をまず凝視し、その次にこれを直視することから自己自身を検討することへとくだって来るのでなければ、くもりのない自己理解に達することが決してない」(カルヴァン)

 他人の顔は肉眼で直接見ることができますが、自分の顔は鏡を通してでしか見ることができません。だれよりも身近に存在している自分の顔すら直接見ることができないのに、どうして自分を知っているなどといえるのでしょう。自分のことは自分が一番よく知っているなどと思いこんでいますが、あんがい自分のことは分からないものです。
 人にもまれて生きることで自分自身の姿を知らされ、矯正や陶冶がなされ、人は成長していきます。他人からの評価は時に厳しいものですが、真摯に耳を傾けることで変えられていくのです。人は人と人の間に生きて人間となっていきます。
 しかし他人の評価は必ずしも絶対的なものではありません。歪んでいるところもあります。ゆがんだ鏡では正確な自分の姿は映しだされません。それによって人生を歩もうとするならば途端に間違った方向、迷いの方向に行くでしょう。偶像の神々もくもった鏡のようなものです。
 正確な自己理解に達するためには天と地を造られた唯一まことの神、私を愛していてくださるイエスさまにおいてあらわされた神さまにお出会いしなければなりません。


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