●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(20)

「『この杯を私たちは飲むことが出来るか』とは、私たちが自らに問うことの出来る、私たちを試す最も根本的な質問です。この杯とはいのちの杯であり、悲しみと喜びで満たされています。」

 イエスさまは十字架にかかられる前に、ゲツセマネの園で祈られました。その祈りは「出来ることならこの杯を取り除けてほしい」との祈りでした。この場合「杯」とは十字架の苦しみのことです。その更に前に、二人の弟子の母親がやって来て、息子たちが天国でイエスさまの左右に座ることができるように、とイエスさまに願いました。それに対してイエスさまは「わたしが飲もうとしている杯を飲むことが出来るか」と問いかけられました。この場合も杯とは十字架の苦しみの事でしょう。天の御国を望む彼らに十字架の苦しみを受け取ることが出来るかと問われたのです。
 私たちにとって苦しみである事々を、信仰をもって受け取るならば、その苦しみでしかなかったものが、喜びとなりいのちとなり、天の御国に生きることを私たちにもたらすかけがえのない経験となるということでしょう。私たちにはそれぞれに苦しみと思えることが与えられています。それをどう受け取るのか。神さまへの信頼をもって受け取るのか。
 神さまは乗り越えられない試練は与えられません。神さまへの信頼をもって受け取るなら、案外その十字架は軽いものです。十字架を担い始めるならば、喜びといのち、神さまの豊かなご支配を経験することとなるでしょう。


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