●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(12)

「本当に聴くことの出来る人は、自分が存在していることを周囲に知ってもらわねばならないというあせりがありません。」

 人の話を聴くことは、簡単なことではありません。私たちは、すぐに相手の話をまとめようとしたり、解釈しようとします。あるいは答えなければならないという思いに駆られ答えを出そうとします。ひどい場合には反論します。「しかし」「けれども」「そうは言うけれど」と反論の接続詞によって相手の話をさえぎります。こんなことでは、話しをしている相手は自分の話を聴いてもらった、という思いを持つことはできないでしょう。
 私たちが相手の話を聴いてあげられないのは、自分の中に「自分が存在していることを周囲に知ってもらわなければならない」という「あせり」があるからだ、とナウエンはいいます。
 このような「あせり」はどこから生れてくのでしょうか。それは自分に対する価値観の低さがもたらすのではないでしょうか。自分に対する価値観や自己肯定感の低さ、劣等感などが、自分を価値あるものだとアッピールしなければならないという「あせり」を生み出し、その「あせり」が人の話を聴くことをできなくさせているのです。
 「あせり」から解放されるための自己肯定感は、神さまの愛に満たされることによって確かなものとなります。神さまの愛に満たされている人は、解釈せず、反論せず、ただ静かに耳を傾けます。ときに沈黙さえも共有することが出来ます。


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