●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(10)

「神は私たちと条約(コントラクト)を結ばれたのではありません。神は私たちと契約(コヴェナント)を交わされました。」

 「条約」とはこの場合「あなたが約束を守ってくださるならば、私も守りましょう。そうでないなら守りません。」ということです。つまり条件付きの約束です。これに対して「契約」という言葉で表しているのは「どんな時でも、どんな行動であっても、あなたに誠実を守ります。」ということ。つまり無条件の約束ですね。私たちはこの契約という言葉も、むしろナウエンのいう「条約」の意味で使っている場合が多いのではないかと思います。コヴェナント(covenant)はむしろ「誓約」と訳されるべきでしょうか。
 聖書において神さまが人間と交わされたのは、条件付きの約束ではなく無条件の約束です。条件付きの愛、限りのある愛ではなく、無条件の愛、永遠の愛です。
 確かに読みようによっては、あるいは一部分を切り取って読むならば、条件付きの愛が語られているように思えるところがあります。しかし聖書は全体から読まなければ間違った読み方をしてしまいます。地図を広げて大きな目的地をとらえないで、目の前の道だけを見ていては迷ってしまうでしょう。
 ただ人間は無条件の愛を持っていません。それが人間であるゆえんです。そうでなければ人間でなくなってしまいます。無条件の愛をもっていない人間に、無条件の愛を求めようとするならば、途端に人間関係は破壊されるでしょう。
 ですから神さまの愛にお出会いしなければならないのです。神さまの愛をいただいて、お互いに「コヴェナント(契約、誓約)」の愛をわずかでも反映することが出来れば、豊かな人生に生きることが出来るでしょう。


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