●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(4)

「私たちが一人ぼっちの寂しさから行動する時、私たちの行動はいとも簡単に暴力的なものになってしまいます。」

 一人ぼっちはさみしいものです。そのさみしさを紛らわそう、あるいはさみしさを満たそうとして、誰かを求め、また何かを求めます。しかしそのような行動はかんたんに暴力的なものになってしまう、とナウエンは語ります。
 さみしさからの行動は、相手に無限の愛を切に求めることになります。無条件の愛、限界のない愛、制約のない愛を求めてしまうのです。しかし残念ながら人間は誰もそのような無限の愛をもっていません。結果、満たされない思いが不満を生み出します。さみしさは自分の心しか見えない状態ですから、その自己中心性は相手に対する暴言、暴力となります。
 ときおりまるで無限の愛を持っているかのように接する人に出会います。満たされた思いになります。周りの人もその愛に感心します。しかし「義人はいない」と聖書が語る通り、やはり人間には限界があるのです。さみしさから行動する人の要求度はより増幅し、そこで生まれる暴力は増し加わります。
 非暴力的な生き方を始めるためには、完全な愛をお持ちの神さまにお出会いしなければなりません。十字架と復活をもって愛を完全に現わしてくださった神さまにお出会いしなければなりません。真実の愛による伝道とは、この神さまの愛を紹介することです。そのためには人間の愛には限界があるということを知らなければなりません。


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