「私が<慰め>と呼ぶのは、魂のなかに何らかの内的な動きが生じて、魂が自分の創造者であり主である方に対する愛によって燃え上がらせられるときである。」
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491~1556)
イエズス会の創始であり教会刷新(カトリック改革)に没頭したイグナティウス・デ・ロヨラ。生まれたときは「イニゴ」と呼ばれたそうですが、パリで学ぶようになって、アンテオケのイグナティオス(2世紀初め・使徒教父)にあやかりたいとイグナティウスと名乗るようになりました。ロヨラ城(スペインのバスク地方)で生まれたので「・・デ・ロヨラ」ということです。
誰かの愛に満ちた言葉や行いによって私たちは慰められます。また愛をもって語る言葉や行いが相手を慰めます。相手に対する愛があるかないかが相手を慰めることができるかどうかの分かれ道です。
そこでイグナティウスは相手に対する愛に生きるためにはまず神さまへの愛が大切であると語ります。神さまへの愛によって自分自身が燃え上がらせられるときにこそ、相手を慰めることが可能となるというのです。神さまへの愛なくしていたずらに相手への愛によって相手を慰めようとしても本当に相手を慰めることはできないということでしょう。
神さまへの愛に生きるために、自分自身がまず神さまから愛されていること。自分自身がまず神さまからしっかりと慰めを受けている、そのことが大切です。神さまからの慰めをいただき、そうして神さまへの愛をあつくし、そこから生まれる周りの人や出来事に対しての愛に生きる者となりましょう。
2013年05月26日(日)の週報より
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