●デボーションからの黙想(19)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎お互いを理解する言葉が語られるところ

「バベルの塔を建てたことによって、人間はそれぞれ自分ひとりにしか通用しない言葉を語ることになり、人々はもはやお互いを理解することができなくなりました。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 「バベルの塔」は創世記11章に記されています。「頂きが天に届く塔を建て、名をあげよう」と高慢に生きるようになった人間を戒めるために神さまは人間の「ことばを混乱」させられました。その結果、人は地の全面に散らされました。人間の高慢の罪が、言葉の混乱をもたらしたのです。
 自分の気持ちや意見を誰かに伝えるために、言葉はなくてはならない大切なものです。しかしその言葉が人間の高慢によって混乱しているので、私たちは自分にしか通用しない言葉を語ってしまいます。言葉によってお互いを理解しようとしても理解できず、かえって言葉によってお互いを傷つけてしまいます。言葉の混乱が人間関係を破壊してしまいました。
 このように混乱した言葉で傷ついた私たちの世界でしたが、聖霊降臨(ペンテコステ)の日から新しい時代を迎えました。聖霊が下ると弟子たちは「御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば」で話しだし、それを聞いた人々は「自分の国のことば」で弟子たちが話すのを聞きます。こうして聖霊降臨の日以来、「ことば」は「調和」を取り戻しました。イエスさまを信じる者は、自分ひとりにしか通用しない言葉ではなく、自分もお互いも共に理解できることばを語るようにしていただきました。
 高慢の罪が言葉の混乱をもたらしたのですが、へりくだって聖霊の導きに従い、聖霊の力に生かされるとき、ひとりよがりの言葉から解放され、相手が理解しやすい、受け止めやすい優しい言葉を語る者とされるのです。今年のペンテコステ礼拝は次週6月8日です。
2014年6月1日(日)の週報より


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