●デボーションからの黙想(18)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎ほんのしばらくのあいだ

「悲嘆」と「思いみだれ」は、ほんのしばらくのあいだ続くにすぎない。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 悲嘆、すなわち悲しみ嘆くことは、ほんのしばらくのあいだ続くだけです。思いみだれ、すなわち困った事態に直面してどうしようかと心が乱れてしまうことも、ほんのしばらくのあいだ続くだけです。悲しみ嘆き、心が乱れてしまうことは、その間は苦しいのですが、その苦しみもほんのしばらくのあいだ続くだけなのです。時がくればそのような苦しみは必ず終わりを告げ、悩んでいたことがうそのように、また元気に生きることができます。
 私たちは今の時点のことしか見ることができませんが、神さまはすべてのことをご存知です。私たちが苦しみの時にしなければならないことは「待ち望む」ことです。トンネルには必ず出口があります。その出口を待ち望むように、苦しみが終わる時を待ち望みましょう。
 キリスト者にはもう一つの「待ち望み」があります。それは「神さまを待ち望むこと」(詩篇42編5節)です。悲嘆の時、たとえその悲嘆の終わりが見えなくても、全能で私を愛していてくださる神さまが、この私と共にいてくださることを知るならば、大丈夫です。神さまが私のところに来てくださること、いえ、すでに共にいてくださる神さまに気づかせていただけることを待ち望みましょう。
2014年5月25日(日)の週報より


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