●デボーションからの黙想(14)~西村隆・宮本雅代、『住めば都の不自由なしあわせ』より◎弱さの中に

「不完全だからこそ祈り、弱いからこそ神を仰ぎ、愛せないからこそ神さまが愛してくれます。」
(西村隆・宮本雅代、『住めば都の不自由なしあわせ』より)

 罪人である私たちは、イエスさまを信じて救われたのちも弱さの中に生きて行きます。どのような弱さの中に生きて行くのか。それは人によって違いがあります。しかし皆例外なく弱さの中に生きて行きます。ではキリスト者となる前と後の人生にどのような違いがあるのか。救われる前は、弱さを受け入れられずに、強がってみたり、弱さに開き直って見たり、がっかりして生きる力を失ったりしていました。しかし信仰をいただき救われてからは、弱さのままに愛し受けれてくださったイエスさまとともに、自分の中にある弱さを見つめる者にしていただきました。強がったり、がっかりしたりせず、健やかに自分を生きて行くものにしていただいたのです。
 信仰生活、教会生活がいつの間にか、「完全」だからこそ祈り、「強い」からこそ神を仰ぎ、「愛することができる」から神さまが愛してくれる、になっているとすれば少し信仰の振り返りが必要なのかもしれません。それなら、完全な者、強い者、愛深い者しかできない信仰生活、教会生活です。弱い者だからこそイエスさまと共に生きて行くのです。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.