●デボーションからの黙想(11)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎私の感覚の目を閉じる

「神が私に示すものを見ようとする時、私は私の感覚の目を閉じなければならない。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 神さまは私たちにいろいろなものを示してくださいます。苦しみの中にある時に希望の道を示してくださいます。進むべき道が見えない時にも、私にとってふさわしい道を示してくださいます。人の愛に傷つき愛が見えなくなる時には、どんなに神さまは私たちを愛しておられるのか、を示してくださいます。そのように神さまはいろいろなものを示してくださいます。私たちはそれを見たいと思います。それを見るためには、まず「私の感覚の目」を閉じなければならないとボンヘッファーは語ります。
 「私の感覚の目」。みなそれぞれに感覚の目をもっています。持って生まれたもの、あるいは経験や学びによって得たもの、それぞれに感覚の目をもっています。私たちはそのような「私の感覚の目」によっていろいろなものを見てきました。しかし神さまが示そうとしていてくださるものを見るためには、そのような自分自身の感覚の目を閉じなければなりません。閉じなければ、苦しみの中にも神さまが示していてくださる希望の道が見えてきません。神さまのみこころの道が見えてきません。神さまの愛が見えてこないのです。神さまの示してくださるものが見えない中に歩もうとするならば途端につまづいてしまいます。
 しっかりと「私の感覚の目」を閉じて、神さまが示そうとしてられるものを見たいと思います。そうしてつまづかないで歩んでいきたいと思います。


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