●デボーションからの黙想(10)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎生きること、そのものが目標

「生は、われわれに対して神が定めた目標である。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 朝ドラを見ていたら「このために生まれてきたんや」というセリフがありました。人間がこの世に生まれてきたのには目的があるということでしょう。私たちの命は、それぞれの目的、目標、信念、を実現するために神さまから与えられている、そう考えることは真理の一面を現していると思います。
 「仕事」を使命と感じ、そのために命が与えられていると信じ、頑張って使命の実現のために生きることは素晴らしいことです。しかし、その「仕事」にはいつか終わりがやってきます。仕事という目標が達成でき終わってしまったら、生きる意味もなくなってしまうのでしょうか。どんなに力強く使命に向かって命を燃やしていた人も、いつか体力的にも年齢的にも使命を果たすことができない時がやってきます。そうすればその命には意味がなくなるのでしょうか。
 上記の言葉は「目標や信念、使命のために命がある」というのではなく「命のために目標や信念、使命がある」ということを語っています。つまり生きることそのものが私たち人間の目標であり使命であるということです。何かができる命だから尊いのではなく、何にもできなくても「生きている」ということそのものが尊いことなのです。
 主にある私たちは、何もできなくても、この世間からまるで生きている値打がないかのように言われることがあっても、貪欲に生きることに執着して行こうではありませんか。


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