●デボーションからの黙想(9)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎余燼(よじん)

「現に存在するこれらの誘惑は、地上においてイエスが受けた誘惑の余燼にすぎない。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 私たちが経験する誘惑、苦しみは、すでにイエスさまが受けてくださったものばかりです。すでにイエスさまはあらゆる誘惑、苦しみを経験してくださり勝利してくださいました。ですから私たちが経験する誘惑、苦しみはイエスさまがお受けになられた誘惑の「余燼」にすぎないとボンヘッファーは語ります。
 「余燼」(よじん)とは「燃え残りの火」のことです。誘惑、困難は、もう間もなく消えてしまう火のように、私たちを焼き尽くしたり滅ぼしたりすることはできません。恐れることはないのです。
 しかし燃え残りの火でも、あなどって解決しないならばいつまでもくすぶっています。下手をすると再燃してしまうこともあるでしょう。あなどらずにしっかりと解決をしなければなりません。
 いまどのような誘惑、苦しみ、困難の中にあるでしょうか。それら一つ一つもイエスさまがすでに経験してくださった誘惑であり困難です。だれにもわかってもらえないとうずくまるのではなく、目を天に向け、イエスさまの十字架を仰ぎ見、信仰を持って祈りとみ言葉によって解決をいただきましょう。何があっても大丈夫です。


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