●デボーションからの黙想(8)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎限界こそ人間であることの意味

「人間の限界は、人間という存在の中央にある。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 神さまが最初の人間アダムを置かれたエデンの園の中央には、いのちの木と共に「善悪を知る木」を置かれました。そしてこの木からとって食べてはならないといわれました。何でも自由なはずのエデンの園において、一つだけ不自由、禁止、制限、限界があったのです。そしてその限界はエデンの園の端にあったのではなく中央にありました。限界は端にあるならばそれは乗り越えるべき目標となりますが、中央にあるということは、その限界こそ人間が健やかな人間でいられるためのなくてはならないものといえます。アダムはこの限界を乗り越えてしまいました。そうしていのちを失ってしまいました。
 限界があるのが人間です。それを乗り越えようとすることも人間の力なのかもしれません。しかし乗り越えられない限界をお互いにいただいているからこそ健やかな人間として生きることができるのです。限界があるからこそ、神さまにゆだね、人間同士が励まし合い助け合うことができるのです。限界があるからこそ愛を学ぶのです。


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