●デボーションからの黙想(7)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎イエスさまを中心とする

「アダムの支配に委ねられている世界の中央には、アダム自身がいるのではなく、神の生命の木が立っている。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 苦しいことやいやなことがあると生きる力を失います。いいことやうれしいことがあると生きる力が湧いてきます。人間は食物だけで生きているのではなく、喜びや希望によって生きています。誰かに愛されているということが喜びとなり希望となって生きる力となります。
 喜びや希望はどこからやって来るのか。聖書は変わることのない喜びや希望は、天と地を造られた神さまからやって来ると私たちに語ります。この神さまは地に生きる私たちを遠く離れてご覧になっておられるのではなく、私たちのこの地に来てくださり十字架にかかって苦しみを共にしてくださいました。また3日の後によみがえって尽きることのないいのちに生きる道を開いてくださいました。
 エデンの園、楽園には、神さまが与えてくださるいのちの木が「中央」にあったといいます。アダムではなく神さまの命の木が中央にあったのです。その時人間には自由と喜びがありました。人間が人生の中央にいる限り生きる力は失われていきます。しかし神さまが中央にいてくださるなら、その人生に喜びと希望は尽きることがありません。


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