●デボーションからの黙想(4)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎聖書の言葉を心にたくわえること

「神の言葉は私の知性の中にではなく、心の中にたくわえられるのである。・・・神の言葉について多くのことを知っていても自分のうちに何も「たくわえられ」ていないならば、何もならない。それよりは少しでもよいから聖書をゆっくりと読んで、それがわれわれのうちに入りこむまで待つほうがよい。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 神さまの言葉、すなわち聖書の言葉は、知性の中ではなく心の中にたくわえられると語られています。たとえば「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」(イザヤ書41章10節)というみ言葉を読むとすれば、言葉の意味を知識として理解することができたとしても、心にたくわえていないならば何もならないのです。
 どうすれば心にたくわえることができるでしょうか。ボンヘッファーは「それがわれわれのうちに入りこむまで待つほうがよい」と語ります。み言葉は生きて働きますから、私の努力によるのではなく、み言葉自身のほうから私の心の中に入りこんでくるというのです。人間にできることは、静かにみ言葉を思いめぐらしながら、時に賛美を歌い、時に沈黙し、神さまの十字架と復活のお姿を思い描くことでしょうか。そうして心にたくわえられたみ言葉は私たちの想像以上の力を発揮し、私たちを豊かに生かします。
 そのような待ち望みの時間を少しでも大切にしていきましょう。


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