●デボーションからの黙想(1)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎神の前では

「神の前ではわれわれの最大の心配事といえども、両親の前での小さい子供の心配事のようでしかない」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 心配という言葉は心を配ると書きますので生きる上では大切なことではあります。心を配っていてくださる人によって私たちは生かされ、世界は成り立っています。しかし心配が「思い煩い」になると少なからず大変ですね。心配と思い煩い。同じように見えて微妙な違いがあります。健やかな心配りか、それとも思い煩いか。人生の分かれ道です。
 ボンヘッファーは、私たちが「これは一大事」「大変だ~」「もうこれでおしまいだ~」と思うことも、神さまの前ではまるで両親の前での小さい子どもの心配事のようでしかないと語ります。もちろん誰かからこのように言われても人間はどこまでも罪人ですから「どうせ私の苦しみなど誰にもわかってもらえない」とかえって落ち込むことになります。しかし神さまからの言葉として受け止めるなら人生は変わります。これには信仰が必要ですね。
 では心配事で落ち込む兄弟姉妹に対してはどのように語ればいいのでしょうか。きっと、かたわらに共にいて、イエスさまを見上げていっしょに祈っていればいいのかもしれません。


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