●牧会の机~魂への配慮の歴史より(13)◎謙遜が生み出すまことの平安

「謙遜の底に、最も深く沈潜すること」
ヨハネス・タウラー

(1300~1361、ストラスブール)
 謙遜とは、自分自身の身を低くするということですが、その底に、さらに最も深く沈潜する、つまり沈み込んでしまうということをタウラーは語ります。そこまで沈み込んでしまうということは、自分自身をすっかり失ってしまうような感じです。
 私たちは自分自身の何かにすがって生きてきました。新聖歌428番のように「世の宝」「富」「有名な人になること」「人のほめる言葉」「美しいもの」にすがって生きてきました。これらはいつか失われてしまうものであり、いかにむなしいものであるかをイエスさまにお出会いして知りました。イエスさまの愛は永遠であり変わることがありません。このイエスさまの愛にだけに寄りすがって新しく生きるようになりました。
 しかしイエスさまの愛だけに寄りすがって生きていくと言いつつも、私たちは、いつの間にか、「世の宝」「人のほめる言葉」などのを頼りに生きてしまうようです。これは平安のない生き方です。自分自身をすっかり失ってしまうほどに、へりくだり、謙遜に生きること。そのような私たちを、神さまはいつもまことの平安の中に引き上げてくださいます。


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