「あまりに厳格に正しさを求めることからは自由になり、できるだけ共に生き、共に努力してさえいれば、なお信仰を明らかにするために必要なことは、主が与えてくださるであろうと思うからです。」
(カイサレイアのバシレイオス、330頃-379年)
きちんとしなければならない、良くいうと責任感のある人間だったと自分自身を振り返って思います。高校生の時、美術部に所属していました。たまたま責任を持っていた夏休みの活動の初日、ちゃんと準備ができているか心配で心配で、朝9時30分始まりなのに7時ごろに登校したことがありました。結局私が何もしなくても滞りなくその日のプログラムは進みました。今から思えば笑い話ですが、厳格に正しさを求めていたのだと思います。
イエスさまを信じたのですから、私たちはあまりに厳格さや正しさを求めることから自由になりましょう。そうです、あまりに厳格さや正しさを求めることは不自由なのです。自分を縛り付けるのです。自分だけではありません。身近にいる人々をも縛り付け不自由にします。
誰かと共に生き共に労しようとすれば、自分の小さな正しさを後回しにしなければならないこともあります。必要なことは主が与えてくださる、自分が築き上げるのではないとの信仰を新たにしましょう。
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