「今あなたに、この新しい一年が何をもたらすか、少しも分からないとしても、キリストが『終わり』であるというこの一事を、あなたは知るべきである。」
(リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、34頁、黙示録1章17,18節)
学生のころ、放課後に専門の制作活動をすることになっていました。定期的に行われる互評会や公募の展覧会を目当てにそれぞれ平面や立体制作に励みます。夜の8時、9時と制作室で過ごし、適当な時間にそれぞれ帰宅します。最後になった者が各制作室の戸締りをしなければなりません。暗がりの中各部屋の窓の確認、火の元、施錠をしなければなりませんでした。この最後になるのが嫌で一人二人と帰宅し始めると皆が加速度的に帰宅します。どういうわけか気が付けば私が最後ということが多かったように思います。最後は嫌なものです。
イエスさまは「私が終わりである」と言われました。もう終わりだ、などと思う時があるでしょうか。大丈夫です。私がもう終わりだと思ってもそのあとにイエスさまがおられます。
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