〔宣教50年 スポット 7〕 カマボコ兵舎の変身

やがてキャンプは永源寺から長命寺の小豆が浜に移りました。今のキャンプ地を借地して、キャンプハウスを建てる事になったのです。国民休暇村も未だないころです。勿論地道で今のように広くなく、電気も通ってはいませんでした。まず山地を切り崩して平地にし、コンクリートの土台を造り、建物を建てるのですが、今のような機械は一切ありません。ツルハシとスコップで土を掘り、モッコに入れて運ぶのです。石を動かすとムカデが出て来ます。ムカデ山といわれていたとも聞きました。彼等がそう呼んだのかもしれません。その上に建てられたのは、横浜の米軍基地から払い下げになった「カマボコ兵舎」でした。宣教師たちは横浜に行き、泊り込みで兵舎を取り壊し、トラックで運んだのです。その一つがキャンプ場に建てられ、ほかの3つは、一つは吉野、八日市と五個荘はその材料で形を変えて建てられました。すべての工事は宣教師と日本人教師の協力で行なわれました。印刷物を配り、集会を開いて賛美したり説教したりするだけが伝道ではありません。「福音のためには何でもする」のです。 


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