続・牧会ずいそう<128> 主のお座りになる所

 リビングプレイズから「生ける限り主を!」を歌った時,「口から歌の出ない原因として,意気消沈,挫折感,落ち込み,失望が上げられます。これらの状態は,新しい命がその人に注がれる妨げとなります。重苦しい霊は魂を覆い尽くし,希望を窒息させます。ところが歌には失望を跳ね返し,再び希望の生まれるスペースを広げる力があります。」とあった。「主はイスラエルの賛美を住まいとされる」というみことばを思い出した。そして,主が私の中に入って来られた時,どこにお座りになるのかと考えた。主は賛美の座席を一番喜ばれ,座り心地が良いと言われるのではないか。愚痴や不平,不満,人の批判,高慢や卑下と言った座にはお座りにならない。そのようなところからは逃げ出したいと言われる。賛美をする時,ごったがえした心であってもそこに,主がお座りになるスペースを造る力があるのではないか?キリストの血潮で罪赦され,聖められた感謝と喜びが賛美となる時,主がお座りくださる席がそこに設けられ,広がっていく。心からの賛美をささげ,主に向かって歌い,主の座を確かにし主の臨在の喜びに満たされたい。


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