続・牧会ずいそう<127> 一致の畑

 一致は力であり、一致は良い実を結びます。悪魔も一致団結する事を知っています。あらゆる分野で一致が大切である事が強調されています。教会においても然りであり、信仰の活動において一致が必要な事は言うまでもありません。キリストは十字架にかかる前の晩、ゲッセマネの園に行く時、決別の祈りとも言われる祈りの中で、弟子たちの一致、教会の一致を祈られました。そこで、一致はどのような畑に育ち易いかと考えてみました。知恵と力に満ち、自分たちの強さ、豊かさ、すばらしさを誇っている人々の中に一致が育つでしょうか。優越感や高ぶり、対立や争い、自分の事しか考えない人々の中に一致が芽生え育つ事は考えられません。それは奇岩巨岩等の競い合う岩山のようです。 むしろ一致は弱い人たちの中に芽生え育ち易いようです。弱さを知り、人の助けを必要として居り、神に助けを呼び求めている人々。砕かれて粉々にされ、よく耕されている畑にこそ一致は芽生え育ちます。謙遜や愛や信仰、希望の要素がよく含まれている畑に一致は育ち易いのです。弱い人は一致を芽生えさせ育てる賜物を持っている人だとも言えます。


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