続・牧会ずいそう<118> <みにくい>表現から

 ある書道家が、テレビでの講座で、まず、最も下手に、見にくい字を書くようにと指導していた。別の番組でも、絵本作家が子供達に、最も汚い、醜い絵を書くようにとの指導から始めた。彼らに共通していることは、醜いものを表現することを恐れないことが大切であるし、醜いものを知ってこそ、美しいものが解ると言うことらしい。聖書も同じことを言っているように思った。聖書は、私達に最も醜い、汚い、恥ずかしい、罪を自分の内に認め、まずこれを言い表わすようにと言う。汚れた心、思い、自分の醜い過去等を言い表わすことは誰も好まない。しかし、これを言い表わす時、赦しのあることを知り、救いが解る。「もし、私達が自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私達をきよめて下さいます。」(1ヨハネ1:9)罪を隠すものはかえって厳しい裁きを受け、滅びに至ります。言い表わす者はあわれみを受けます。ありのままをさらけだして神に祈り神の愛に身を委ねる時、神はその愛による赦しと恵みの道を示して下さいます。神の恵みも醜いことを言い表わすことによって知ります。


投稿日

カテゴリー:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.