続・牧会ずいそう<115> 赤ちゃんとして生まれた

 「赤ちゃんとして生まれないで、人となったのは誰でしょう」という聖書クイズがある。答えは、アダムとエバ、だ。では、キリストはどうしてアダムとエバのように成人した人間としてこの世に来られなかったのだろうか?アダムとエバのように塵から造られると、罪を持たない新しい人でも、それは神ではなく人である。天使のようであっても、被造物である。見えない神が人の形を取るためには、処女が神の霊によってみごもり、生まれると言うことが必要だった。赤ちゃんとして生まれたことには色々な意味がある。勿論ユダの末として生まれると言う神の約束が実現するためであったが、そのことは約束を信じて待ち、その実現によって生まれた赤ちゃんが、キリストであると信じる為であったと言える。キリストは人としてのすべてを経験し、私達の真の執り成し者、理解者、弁護人となって下さった。赤ちゃんとして生まれ、育たれたことによって、私達の仲間、真の代表者になって下さったと言える。人としてのすべての苦しみを担うためであった。私達の身代わりに裁きを受け、十字架に死んで贖いの供え物となるために・・・。


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