続・牧会ずいそう<109> 野に放つ

 人工飼育されていた朱鷺が野に放たれるニュースを見た。自然環境が悪化し、絶滅寸前になっていた朱鷺が、人工飼育され、野に放つ自然環境が整うには長年の努力が必要であった。自然野で生息していけるのか?飼育した人々の一抹の不安の中に朱鷺は元気に飛び立った。自然野に生きることが朱鷺には自然なのだ。このニュースを見ながら、<キリスト者が生きる自然野とはどこなのだろうか?教会だろうか?キリスト者だけで造り出す社会だろうか?確か新大陸へとメイフラワー号に乗ってアメリカ目指した人々はそのような夢を抱いていたと聞いた。クリスチャンホームの中だけで暮らすことだろうか。どうもどれも違うように思う>と考えた。迫害があっても、戦いがあり、苦しみがあっても、たとえどんなに困難であリ、絶滅しそうに思えても、一般社会の中で生き、キリストの光と香りを放つことがキリスト者の使命ではないだろうか。「羊を狼の中に放つようなものだ。」と主は言われた。主が共におられる時、羊が狼を支配するようになる。私達は教会の中だけの信仰でなく、野に生きる信仰を養い、雄々しく生きるべきなのだ。


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