続・牧会ずいそう<107> 危険があっても

「安全第一」は言う間でもない!しかし、危険のあることは何もシナイと言うわけには行かない。危険があってもしなければならないことがあるからこそ「安全第一」が重要になる。自動車の運転も、道を歩くことも、危険が伴う。だから運転しない、歩かないと言うわけには行かない。機械を使って作業することも、あらゆるスポーツも、電車や飛行機、船での旅行も、危険のないものは殆どない。危険があっても安全に留意しながら行動しなければならない。最近、安全に留意するあまり、危険が予想されることはできるだけしない傾向が強くなっているように思う。親は子供に危険なことはしないようにと勧める。冒険や挑戦する気概が養われにくくなっているのではないだろうか。危険に対応し、これを乗り越える訓練や感覚が身に着き難い。何もシナイから安全と言うわけではない。神のみ心を知ろうとする時、危険なことが予想されるから御心ではないと考えるべきではない。危険が満ちていても通らなければならない道があり、神の助けを信じて前進してこそ達する目標がある。危険を恐れないで前進する信仰も訓練され身に付ける必要がある。


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