続・牧会ずいそう<104> 手放す信仰

 信仰とはこれが真理だ、これだと確信するものをしっかり握って離さないことだと考えることが多い。確かにそういう信じ方もあるが、握っている信仰は自分の信念や信心で掴んでいるから、限界がある。何かのことで手放してしまう。そして自分は信念が弱いと嘆く。信じて握っているものがあると他のことが出来ない。他のことをしようとすると信仰を捨てなければならなくなる。しかし、救いの信仰は、自分で握っているのではなく、自分をゆだねる。自分を愛し、救って下さる神の御手の中に自分を手放すのだ。神はしっかりと受けとめ、守り、導いて下さる。ところが人間は、握っていると安心するが、手放すことは恐い。何でも握っていないと満足できない。握っているものだけが自分のものだと実感出来る。しかし、信頼する信仰に立つ者は手を開く。自分を神の手の中に手放し委ねる。神の御手の中で自由を得る。何でもできると思えて来る。神が支え、守り、力を与えて下さるからだ。神にある平安に満たされ、感謝と喜びが湧いて来る。どうにでもなれ!と開き直って自己放棄するのではない。神の中に自分を手放し、神に喜んで委ねるのだ。


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