続・牧会ずいそう<85> 私を私として

 最近は<生体認証>の技術が進み、多くの分野で利用が進んでいる。暗証番号が悪用され、その問題点が指摘されるようになって、お金の出し入れにも、手をかざすことによって見分ける方法が導入されたりしている。指紋による認証は今までから用いられて来た方法だ。声帯による認証も良く聞く。耳や顔によるものもある。勿論DNA鑑定がある。珍しく思ったのは目のひとみの紋様による認証である。これも最近注目されているようだ。このように<生体認証>が進むと人間のからだのあらゆる部分がその対象になって来るようだ。それだけ、人はそれぞれ固有のものを持っている。それぞれ違うのだ。私達は外見を見て、同じように思い、同じように取り扱おうとする。詳しい判断は機械に頼らねばならない。しかし、神は私達一人びとりを正確に見分け、固有のものとして認証し、私を私として知って対応して下さる。そのように造られたのだから。神は決して人を十把一絡げには取り扱われない。私の性格、生き方、すべてを知っておられ、私を私として愛し、導き、私が私として神と交わり、神を喜ぶものとなることを求めておられる。


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