続・牧会ずいそう<76> 「はかり」が違う。

 あの人はこうしているから信仰が強い、こうだから信仰が弱い、等と聞くことがある。その人の行動を見て信仰を計って良いものだろうか。愛にしても同じである。親に叱られて、親に愛されていないと嘆く子がいる。叱ったから愛していないのではない。むしろ愛しているから叱る。こうしたから愛がない。ああしたから愛が深いと考えるとだまされてしまう。親切にしてくれたから愛しているのだと思ったら、利用するためであったりする。身長を計るはかりで体重を計ることが出来ないのと同じようなものだと思う。あなたは自分自身の価値を何で計りますか。今まで何をして来たか。その業績で計るでしょうか。それとも世間の評判でしょうか。人気でしょうか。どれだけ自分の思い通りに生きて来たかによるでしょうか。親や、尊敬する先生の評価でしょうか。どれだけ人々のお役に立って来たかでしょうか。私達の造り主である神は、私達を限りなく愛しておられます。そのひとり子を私達の救いのために十字架にささげるほどに!永遠に滅びて価値亡き者となる私達が、この神の愛を受け入れる時、永遠に価値ある尊い者となるのです。


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