続・牧会ずいそう<56> 感動を証しする

 あまりにも多くの情報に囲まれ、ちょっとしたことでは驚かない。「そう、そんなことどこでもありますよ。こんな話も聞きました。こういうこともあるんですよ」自分で経験しない事でも、情報で得たことが経験と重なり、物事にならされ、感動することが少なくなっている。人生の一大転機を経験したキリストの救いも、あまり感動的には受入れられないことがあるようだ。しかし、例えそうであっても、神との出会い、その恵み、神によって与えられた経験に私たち自身がもっと感動し、その感動を率直に伝える者でありたい。聴衆を感動させる音楽や、見る者を感動させる芸術は、まず作者が何かに感動することから始まる。作者の心が動かないで造られたものは、誰の心をも動かさない。聞き慣れている名曲も、指揮者に新たな感動が起ると、演奏者を感動させ、その感動が聴衆に感動を与える。神との出会い、神のすばらしさ、その恵みの豊かさ、祝福の深さ広さ、神の知恵の卓越した高さ、無限の愛、これらに日々感動し、その感動をそのまま伝えられる者になりたい。キリスト者が恵みに慣れ過ぎて感動を失ったら、証の影響力が衰える。


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