続・牧会ずいそう<55> 種のある実

 種無しぶどうや種無しスイカは食べ易い。しかしそれは人の都合によるもので、本来は実の中に種がある。実は種を造るためにあり、種を守るため、種をまき散らすためにあるのではないだろうか。動物が実を食べ、種をまき散らしてくれる。植物の方から言えば、種まきのお手伝いをしてくれたお礼として実を食べてもらっている。考えようによっては、実を食べる動物は植物の種まきにうまく利用されている。お互い様と言うことか。中には動物の毛等にくっついて種まきをしてもらっているちゃっかり者もいる。風等を利用してたんぽぽや紅葉の種のようにまき散らすものもいる。ようするに実は種のためにあるようだ。キリスト者が聖霊の実を結ぶ時も同じかも知れない。聖霊の実は種であるミコトバを運ぶために用いれれてこそ、その使命を果たすのではないか。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と言う聖霊の実は、人々に喜ばれ、受入れられ易い。人がこれらの実を受け入れる時、その中にあるミコトバという種をも一緒に受け入れると、その種はその人の中に命を運び込む。種のない実は命を運ばない。


投稿日

カテゴリー:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.