続・牧会ずいそう<50> 観賞用の器か?

 美術館等の展示を見ていると、著名な人々の作品はさすがに見ごたえがある。形だけでなくその造作、図柄、すべてがすばらしい。しかし、これらを眺めながら時々思う。こんな物をどこで、誰が使うのだろうか?と。おそらく使われる事なく、美術館巡りをして、観賞品、宝物として保管され続けるのだと思う。しかし、器であるなら、使われ、役に立ってこそ良い器、立派な器と言えるのではないだろうか。芸術品としては価値が認められない器でも、使う人に愛され、役に立ち、いつも愛用される器がある。花を入れるのは勿体無い、そのままおいておく方が見ごたえがある器は花瓶としてはどうかと思われる。器としては見ごたえがなくても、花を入れると花が栄えて生き生きするならその花瓶は立派に役割を果たしていると思う。神は神の器に何を期待しておられるのだろうか。見ごたえのある立派な、観賞用の器を期待しておられるのではないと思う。器の役割を立派に果たし、器そのものは目立たなくても用いられ、神に愛され、喜ばれる器。中に入れた物が引き立ち、用い易い器、聖められた器、神はそのような器を求めておられると思う。


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