続・牧会ずいそう<46> 感情を越えて成長する愛

 最近読んだ本にこんな言葉があった「最も深いレベルの礼拝とは、痛みの中にあるにも拘わらず神を賛美することです。それは、試練の只中にあって神に感謝することであり、誘惑を受けている時に神を信頼することであり、苦しみの中にあっても神にすべてをゆだねることであり、神が遠く感じられる時でも神を愛することなのです。」どんなに親しく愛しあっている関係にも、お互いを遠く感じる時があります。神との関係においても起ります。それは愛が感情を乗り越えようとしている時です。普通の時はそれほど意識していないのですが、私たちは案外感情に支配されて生きています。神への礼拝も、愛も、感情に気持ちよく感じなければ消極的になります。重荷にさえなって行きます。人は感情に心地よい礼拝や愛を求めます。そのようにしていつの間にか感情に支配された礼拝、愛、になっていることに気がつきません。痛みや試練や誘惑や苦しみは、感情の支配から解放されて真の礼拝、愛、へと導かれるトンネルのようなものです。真の礼拝や愛は、感情をこえて信じるところにあり、真の明け渡し、信頼の中でこそ成長するからです。


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