続・牧会ずいそう<44> 教えたい

 最近ある先生に招かれ、何十年ぶりかの釣りをもう一度経験する機会が与えられた。先生と二人で河の土手に立ち、釣り糸を垂れていると、いつの間にか幾人かの人が集まり、やがて新米のわたしに色々と指示されるようになった。浮子は一つが良い、いや二つでも良い、と教師同士の議論も始まる。沈みはない方が良いのでは、糸が長過ぎる。もっとえさをつけろ、投げる時はそんなではいかん。やがてわたしから釣り竿を取り上げて自分でやり出した人もいる。こうするのだと模範を示してくれる。こういうことは自分でやって慣れる他ないのですよ。と言いながら自分でやっている。わたしは見ているだけ。わたしがやらないと慣れることも出来ないではないかと内心思う。教えてくれる人にはそれぞれの経験がある。それぞれ違うことを言い出したり、わたしを招いてくれた先生のしてくれたことまで変更しようとする。わたしは誰の言うことを聞けば良いのか。そのうち一番経験のありそうな人が、わたしに寄り添い、講釈しながら教え始めた。人は経験したことを誰かに教えたいのだ。私たちはキリストの救いの経験者だ。救いの道をもっと教えたい!


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