続・牧会ずいそう<36> 誰に仕えるか?

 最近はペットを飼う人が増えている。ペットを飼う人の当たり前の心得であるが、ペットの世話についての責任は当然で、それに伴い、ペットの排便の後始末も当然しなければならない。ペットの散歩の時、ビニール袋と手シャベルを持って歩いている人をよく見かける。ペットが糞をすると飼い主はしゃがみ込んでビニール袋に取っている。時には落ちて来るのをビニール袋を広げて待っている人もいる。実に、お犬様にお仕えする忠実な僕の姿である。嫌々ではなく、それを当然の事として喜びさえ覚えてしているように見える。家畜やペットは人に仕えるものであるが、今や人がペットに仕えているように見える。勿論これらはペットを飼う者の社会的責任であるが・・・。そこで思う。人は何かに仕える事を喜びとするように作られているのではないか。聖書は、人は神にお仕えする事を最高の喜びとするように作られている。と言っている。しかし、人は罪の故に自己中心となり、神から離れ、神に仕えないで他のものに仕えるようになった。犬に仕えるのも神のためであれば良いが、誰のためにだれに仕えているかを吟味したい。


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