〔私の宣教スケッチ 36〕 乳母車?ベビーカー?

吉野の教会はお寺と隣併せに建っている。今牧師館が建っているところの前の部分は庭になっていた。庭の奥にちょっとした縁があり、6畳程の畳の部屋があった。このちょっとした縁側がなかなか利用度が高く便利であった。縁の片側はお風呂への入り口になっていた。その下に例の石炭風呂の焚き口があった。この縁で子供たちは日向ぼっこもし、良く遊んだ。お風呂の反対側がお寺のブロック塀になっていたが、教会の方が土地が高かったので、縁に立つとお寺の庭が見えてしまう。これがまた便利で、その塀を越えて回覧板を渡したり、顔を見ながら話し合うことも出来た。お寺の離れ(教会側の建物)には、僧侶の弟さん家族が住んでおられ、長女が旨宣と同じ位の年で、うちと同じように、下の子が生まれたばかりだった。ある日、新しく赤ちゃんのために買った乗り物を見せ自慢した。すると旨宣は、それは「乳母車」ではなく「ベビーカー」だと言う。相手は乳母車」だと言い張る。その言い合いは長々と続いた。案外大人も、神学者も同じことをしているのではないかと思った。


投稿日

カテゴリー:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.