続・牧会ずいそう<24> キリストにあって

 キリストにあってと言うのは、まず、キリストとの関わりの中でと言うこと。キリストを知り、感化を受け、導かれてと言うこともあるが、キリストの内に留まると言うことだ。ヨハネ15章で、枝がぶどうの木につながっているように「私にとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」と言われたことを思い出す。キリストにつながることによって変えられ、キリストの命によって生かされ、実を結ぶ。自分で自分を変えるのでも、自分で生きるのでも、自分で実を結ぶのでもない。「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているならそういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることが出来ないからです。」「わたしの愛の中にとどまりなさい」と言われました。そのようにしてキリストの内に生き、キリストが私の内に生きて下さる。パウロは「生きるはキリスト」と云いました。キリストによって生かされ、キリストこそ生きる力。キリストの為に生き、キリストこそ生きる目的。キリストこそ生きるすべてだと云っています。


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