続・牧会ずいそう<23> 信仰に生きる

 キリスト者は信仰に生きている人々である。信仰に生きると言っても、自分で自分のキリスト信仰に生きている人が多いような気がする。確かに信仰に生きているが、偶像礼拝信仰に生きていた時と同じように、キリストを信じる信仰に生きている。キリスト者はこう生きるべきだと言う自分のキリスト信仰に生きている。生きているのは自分であり、自分の力で信仰生活に生きようと努力している。信仰に生きることが時には難行苦行になる。当然疲れても来る。信仰に生きる喜びがない。それがキリスト者の信仰に生きると言うことだろうか?ややこしいことを言うようだが、とても大切なことだ。キリスト者が信仰に生きるとは、キリストによって信仰に生きることだと思う。私が私によってではなく・・。信仰によってキリストに生かされると言った方が分かりやすいか。自分が生きるのではない。キリストが私を通して生きて下さるようにと、日々キリストに明け渡し、聖霊の力で生かされる。「キリストわがうちにありて生きるなり」パウロは自分に死んだと言っている。そこには自分からの解放があり、自由がある。生かされる喜びがある。


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