続・牧会ずいそう<17> リバーシブルな生き方

 ある集会の後で話が盛り上がった時、「傲慢と自己憐憫は表裏ですね」と言うと「時によっては表を着たり、裏を着たりして使い分ける事もあるんですよ」「リバーシブルな生き方ですね」と話が続いた。そう言えばクリスチャンも案外リバーシブルな生き方をしていることが多いのではないか。信仰と不信仰のリバーシブルがあり、従順と不従順、霊的と肉的、古い人と新しい人のリバーシブルもある。そう言えば最近のクリスチャン新聞に、「キョンシークリスチャン」と言う言葉があった。キョンシーとは、死んでミイラになった者が死に切れずに亡霊となって生きている事から来た言葉のようだ。キリストと共に死んだはずの古き人が、未だ亡霊のように生きている。そんなクリスチャンのことをキョンシークリスチャンと言うらしい。古き人の亡霊を懐かしんだり、まとい込むのでなく、きっぱりと脱ぎ捨てるべきだ。時にリバーシブルは都合良く思え、自己満足にもなるが、不安が付きまとう。リバーシブルな生き方は、神に喜ばれない。


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