続・牧会ずいそう<12> ビジョン

 外来語便覧で「ビジョン」を牽くと、視覚、幻影、未来の理想像とある。聖書では「幻」は神が人にご自身のみ心をお示しになる一つの方法として用いられている。夢や幻によって神がこれからしようとされること、未来に起ることをお示しになる。すべての夢や幻が神からのものだとは言えないので注意しなければならない。悪夢や、心の迷いから来る幻影もある。夢占い等は危険である。聖霊によって示された神のみ心は、聖書のみ言葉によって確認出来るし、確認すべきである。聖書のお言葉によって心に描かれて来るビジョンもある。この場合のビジョンは空想ではない。空想は自分で描き出すものであり、ビジョンは神が与えられるものだ。神が与えられたビジョンは、その人の将来像となり、人生、生活の目標となる。目標がないと人生は行き当りばったり、迷いの中をさまよう。将来像がはっきりすると青写真を描き、計画を立てて、実行に移すことができる。これがはっきり示されると一致の要ともなる。みんなで協力出来る。


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