〔私の宣教スケッチ 12〕 集会所の遍歴

守山で多くの子供たちが集まり感謝していた頃、日野では、家主さんが急に家を売ることになり、とにかくクリスマスが終ってからにしてほしいとお願いし、買い主の了解でクリスマスはすることが出来た。クリスマス後から家探しをし、新年には、ある客員の方の離れを一時借りて住む事になった。大きな家の離れであったが、炊事や洗濯、お風呂は母屋までいかなければならない。その間も家探しに走り廻った。当時の日記に40ヵ所以上を尋ねたことが記録されているが、キリスト教と知ると何処も貸してはくれない。「隣組に相談してから返事します」といわれることが多く、そう言われるともう断わられたようなものであった。そのような時、神学校の同級生を通じて他団体の教会が牧師を求めているが行かないか?と声がかかった。正直迷わなかったとは言えない。3月の教師年会で、もう日野を引き上げたらどうかとの意見が出された。引き上げが決まろうとしていた朝、日野の求道者の方から電話があり、住まいが見つかったと連絡があった。 


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