〔牧会ずいそう(選集)〕 もてなしに「ひとり子」を

 昔の話に、後の将軍になるべきお方が、忍びの姿で立ち寄られた冬の日、もてなす物も無く、大事にしていた盆栽を切り、暖をとってもてなした…と、言う話がある。
 ロシアのアインバンテー公が忍びの姿で町に出られた時、誰も彼を迎える者がなく、遂に夜になったが、食も宿も得られなかったと言う。しかし、村のはずれの貧しい一軒家の戸を叩いた時、暖かく迎え入れられ、その家の主は自分のベッドに旅人を寝かせた。後に城に迎えて感謝したと言う。
 キリストは神でありながら人となり、しのびの姿でこの世に来られた。彼は人々の心の戸を叩かれる。彼を迎える者を、主は天の御国に迎え入れて下さる。それにしても、神は罪人を迎え入れ、もてなす為に、ひとり子を十字架にほふり、その肉と血による贖いをして下さったのである。


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